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カンブレー同盟戦争 その1 (注 相当長いです)

 1527年4月19日 
 ヴェネツィア軍の傭兵隊長アーカントスは、フィレンツェの政治家
 フランチェスコ・グイッチァルディーニとニッコロ・マキアヴェッリと
 共に、300人のスキアヴォーニ(ギリシャ人軽装騎兵)を引き連れて
 陸路でフィレンツェへと向かったいた。

 当時の情勢を簡単に説明しよう。当時のヨーロッパは、神聖ローマ
 皇帝にしてスペイン王カール5世とフランス王フランソワ1世の2大
 勢力がイタリア半島の覇権を巡り争っていた。スペインは南イタリ
 アに強固な地盤を築いていた。
 一方のフランスは1525年のパヴィアの戦いに敗北し、国王が
 捕虜になると言う事態を招いた。しかし、翌26年にマドリード協定
 により釈放された。
 だが、フランスはその条約によりイタリアに築いた地盤をスペインに
 委譲しなくてはならなかった。
 フランス王は不服とし、釈放されると同時に
 「この協定は強制的に結ばれた物であり無効である。」
 と宣言。さらに、スペインの勢力拡大を快く思っていなかった教皇領、
 ヴェネツィア、フィレンツェ等を巻き込み「コニャック同盟」を締結した。
 同盟が締結されたのは1526年5月22日のことである。

 翌6月下旬、教皇領、ヴェネツィア、フィレンツェの各軍は、カール
 5世軍の包囲するミラノに進軍した。しかし、スペイン軍の強力な
 反撃に遭い撤退する事になる。
 その後も大した成果をあげる事も無く、翌年を迎える。

 翌1527年1月30日 カール5世軍はミラノを出発する。
 そして、各地の略奪を続けながらボローニャに向かう。
 教皇軍の一部がボローニャの防衛に向かう。

 2月下旬 コニャック同盟軍の艦隊がナポリ沿岸を襲撃
 そして占領する。

 3月7日 カール5世軍はボローニャ領で略奪を続ける。

 3月15日 コニャック同盟軍はやむなくナポリ沿岸からの撤退
 等の条件と共に8ヶ月の停戦協定を結ぶ。

 だが、カール5世軍を指揮していたブルボン元帥が協定の
 遵守を拒絶した。ボローニャ領内を略奪しつくすと、そのまま
 フィレンツェに向かい進軍した。3月30日のことである。



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